東大推薦生の転落人生「これから頑張ります」

「僕はもっとできる子なんだ!」と思っているうち,あっという間に転落人生の入り口に立っていた

【ゆる募】「勉強が嫌い」の2つの意味と、その対処法

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成績が悪い小・中・高生の中には、「勉強ができない」というよりそもそも「勉強が嫌い」という子が多いと思っています。僕は、そういう子の助けになれると思っていました。

 

家庭教師を始めてから、早1年半。

家庭教師、思ったより難しいです。

 

2つの意味

手前味噌ですが、僕は昔から「例示」が得意で、人に何かをわかりやすく教えることには困ったことがなかったので、継続的に1人の人に何かを教えることがこんなに難しいとは思いませんでした。

 

「例示」が効果を発揮するのは、勉強”内容”に興味がない学生の場合。そのような場合は、その子に「勉強”内容”が実は身近な存在である」ということを知らせてあげれば良いのです。これは、僕の得意技。

彼(彼女)の興味のあることや、身近なもののなかに、勉強”内容”と同じ構造を持つものを見つけて教えてあげれば「あ、なんだ、そういうことか!」と納得してくれます。

 

一方で困ったのが、勉強”方法”が嫌いな学生の場合。

いくら"内容"に、興味があっても「反復練習はツマラナイ」「暗記は嫌」など、一般的な勉強の”方法”が嫌いなのです。

 

このように、「勉強嫌い」には”内容”と”方法”の2つの要素があると思うのですが、これ、自分にも当てはまるのです。

 

僕は

僕は、小〜中学生時代、「好奇心旺盛」で「ノートまとめが好き」な子供でした。これは、勉強"内容"への興味と、勉強”方法”へのこだわりの両方に直結し、小学生〜中学生時代は成績優秀。勉強が大好きな子供でした。

しかし、理系に進んだ高校では一転。演習量がモノを言う理系科目では、「ノートまとめ」という勉強"方法"は通用しなかった。中途半端な理解のまま問題を解くのが大嫌いだった僕は、「解きながら学ぶ」という勉強”方法”をすることができず、数学や理科でうまく成績を上げられませんでした。

興味の範疇は「理系科目」にあるのに、勉強"方法"が理系科目にそぐわない。かなりの精神的拷問です。

 

どうしたらいいんだろうなぁ。という悩みは、実は大学3年生になった今でも持っています。

 

結論【ゆる募】

子供の「勉強が嫌い」には2つの理由があると思います。

「勉強”内容”が嫌い」という子供と、「勉強”方法”が嫌い」という子供。もしくは、その両方。

子供が、勉強を”自主的に”かつ”継続的に”やるためには、”内容”と”方法”のどちらもがその子の好きなものでなければならないと感じます。

 

勉強”内容”が嫌い、という方には僕がどんな”内容”でも面白く思えるような思考方法をお教えします!ので!どなたか演習などの反復系勉強”方法”が嫌いな、「勉強嫌い」への対処方法を知っている方がいれば、教えてください!

 

宣伝(気まぐれなので別に宣伝料とかもらってないです)

ちなみに、今僕は、専攻と自分の特性を生かして、子供に理系科目中心の家庭教師をしています。

dree.jp

このサービス、僕の知り合いが作っているのですが超イケてるマッチングサービスです!ぜひのぞいてみてください!

儲からないインフラ(1)「お金は「感謝」の大きさなんだよ」 ←はぁ?

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こんにちは!ゆーのです。

初めましての方はぜひこちらの記事もどうぞ!(ブログのタイトルにちなんだ僕の自己紹介記事です。)

 

 

 

 

 

今日はすごく真面目な話です。

 

 

北海道地震、非常にびっくりしました。

地震発生時、僕の友達も何人か北海道にいて未だに余震の続く中頑張っていると聞きます。亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方の一刻も早い復興を願っています。

 

 

関西の台風21号と、北海道地震などと、何かと災害が多い今年。

その度に、インフラの「大事さ」と「儲からなさ」が話題になっていると思います。なぜ、インフラが儲からないのか、その理由を「お金」の仕組みを通して自分なりに考察します。

全4回の超大作になりそうです。笑

 

 

<目次>

 

 

”お金は「ありがとう」の大きさなんだよ!” ←はぁ?

 

みなさん、一度はこんな言葉聞いたことないですか?

「お金を、は「ありがとう」の言い換えなんだよ。だから、働いてお金をもらうってことは人に感謝される仕事をしているってことだよ。」

 

僕はこの言葉を大人からよく聞かされていたのですが、とにかくひねくれた子供だったので、ずーーーーーーーーーーーーーっと疑問に思ってました。

 

 

 

例えば、こんな状況を考えてみてください。

あなたはある会社の社員だったとしましょう。

あなたの働くビルで清掃員をしているおじさんはとてもいい人で、仕事中に会う人全員に挨拶をするような人です。あなたはもちろん、他の人からもすごく好かれてて、みんな、いつもおじさんに感謝の気持ちを感じています。

一方、あなたの会社の社長は「どうやって会社の利益を最大化するか」にしか興味がないような人です。語るビジョンはかっこいいけど、社長が果たして社員のことを考えてくれているのかあなたは疑っています。

 

 

感謝ベースで考えたら、少なくともあなたの周囲ではビルの清掃員をしているおっちゃんの方が圧倒的に多くの人からたくさん感謝されていませんか?

でも、貰っている給料は絶対に社長の方が上でしょう。

 

 

不平等だと思います

僕は、ずっとこう思ってきました。

 

「これ、不平等やんけ!感謝されてるやつが一番、金をもらってほしい!さほど感謝されていない人が、たくさんお金をもらってるなんておかしい!世の中壊れてるよ!」

 

 

でも僕がそう言うと、働いたことのある大人は大体みんなこう言います。

例1:「仕方ないだろ。そういうもんだ。」

例2:「社長も給料に見合う分だけ頑張っているんだ。」

例3:「お前も働いてみればわかるよ。」

 

では、順番に論破していきます。

 

例1→何が「そういうもの」なのか具体的に説明してくれないとわかりません。「お金は「ありがとう」ウンタラカンタラ」という説を僕に教えた説明責任を果たしてください。

例2→そうかもしれないけど、「お金」が「感謝の大きさ」という説に則って話してください。論点がずれています。

例3→俺は働いてねぇから、働いてるお前らが言語化しねぇとワカンねぇっつてんだろうが!

 

 

 

はい、論破〜!

 

 

(...どうして僕に友達がいなかったかわかりますね。)

 

 

経営者は「感謝」されているのか

ちなみに、最初に書いたような考えを持っていたのは、地元鳥取で高校生をしてた頃の話。

大学生になって念願の上京を果たした僕は上記の持論(不満)を検証するため、たくさんの経営者に会って彼らがどんな人物なのか調査することにしました。

 

 

 

結果:半分あってた。

 

 

こんなことを言ったら怒られるかもしれないですが。

気鋭の経営者になればなるほど、本当に目つきが怖い。しかも、彼らの口から出てくるのは利益とお金の話だけ(たまにビジョン)。人の話なんて全然出てこない。怖すぎて、この人たちに感情はあるのかなぁ...と思ってしまうほど。

 

目つきが悪くて「人のこと」よりも「お金のこと」を考えている人たちが、たくさんの「感謝」を受けるはずがない。つまり、「お金=感謝」理論を考えたら、この人たちがたくさんのお給料をもらっていいはずがないんです。

やっぱり世界は腐ってる!

 

 

 

 

...と思ってはみたものの、経営者がみんなこういう人であることには理由があるはず。と思い直し、僕は冷静に彼らの生態を見つめ直すことにしました。

 

 

 

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今回、自分の問題意識に近いところなので、熱が入って長くなっております。すいません。

それでは、次回更新まで、さよなら〜!

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とある東大生が鬱になった日(完)

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こんにちは!ゆーのです。

初めましての方はぜひこちらの記事もどうぞ!(ブログのタイトルにちなんだ僕の自己紹介記事です。)

 

 

今日は、前回↓の続き。

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<目次>

 

 

未来の自分を失うか、今の自分を失うか

前回の記事の最後で、僕は「理想を捨てる」か「生きている価値がないと認めるか」の決断を迫られた、と書きました。

振り返ってみれば大した悩みでもないように思えてくるのですが、この決断は非常に大きなものでした。

「理想を捨てる」とは、つまり未来のなりたい自分像を捨てるということ。

「生きている価値がないと認める」とは、つまり今の自分を見捨てるということ。

 

 

今思えば、これは2択問題じゃないんですね。

描いた理想と今の自分のどちらも少しずつ見直して、軌道修正すればいいだけの話だったんですが。僕は不器用だし、その時は冷静じゃなかったんだと思います。

 

 

 

 

決断の時。僕は、未来の自分を捨てました。

 

 

 

 

理想を、捨てた

自分に押し付けていた”理想の自分”は「勉強もできて、かっこよくて、サークルも頑張ってて、いつも明るくて、世の中の為になることをしている、充実に満ちた大学生」。

でも、「生きている価値がない」なんて結論に至るくらいなら、僕は理想を捨ててやる、と、全部理想を捨ててみました。

 

とは言っても、すごく悔しいんですね。めちゃくちゃ悔しいですよ。

昔からの価値観を捨てるようなもんですから、自分の人生が無駄になったような気分。怒りも悲しみも混ぜこぜになったような感情が込み上げてきます。

 

「僕は、理想よりもずっとちっぽけで何もできない人間でした。」

「すまんな、過去の自分。」

「お前たちの期待を全て打ち砕いてしまった。」

「夢は潰えた。」

 という具合に。

 

 

手放した後はすっからかん

なにせ、それを目標にして大学生活を過ごして来たわけですから理想を手放すということは、見知らぬ土地でいきなりカーナビを投げ捨てられたようなもんです。だから、右往左往して試行錯誤して道を探すしかないのだけど、どうにも疲れてしまって。

周りを見るとみんなうまくやっていて、着実に理想の彼らに近づいているように見える。それに比べて僕は、なんでこんなところで止まってるんだ?と思えてきて。

「みんなうまくやってるのに、なんで僕だけこんなに大変なんだろう」

 

 

「僕だけ」なんて思っちゃいけない

幸い僕には友達がいました。サークルの同期が沢山いたし、寮には同じ学科の友達がいました。

ある日、あるサークル同期に久しぶりに会って話をした時。精神状態がおかしくなってしまったことを話しました。すると

「え、お前もなん?ワロタ、俺も今全く同じ状況でさ。俺ら頑張りすぎだよ」

 

 

寮の友達に話した時も

「わかるよ、課題辛いし、学科ももう何人か学校来なくなってるしなぁ」

 

 

 

 

 

 

衝撃。

みんなやすやすと課題をこなして、未来に向かって邁進しているように見えたのだけど実はみんな悩んでた苦しんでた立ち止まってた

 

僕がそれを見てなかっただけ。そう知ってから、ちょっと心が軽くなりました。

「なーんだ、”現実”ってみ〜んな辛いのか!じゃあ辛いの当たり前じゃん!」

少し休んでからもう一回歩き始めようと思いました。

そして今の僕がいます。

 

 

 

失敗は人を勇気づける

この経験から、僕は人の失敗を知ることは自分の人生を豊かにすると思いました。それがこのブログを開設した理由、そしてこのブログで伝えたいことです。

僕がどういう経緯で、どのような苦労をしたのか。

を書くことによって、少しでも多くの人が「この人もこんなこと思ってるんだ。じゃあ、私も大丈夫だ」と思ってほしい。

 

 

みんな、人生初心者なんです。

人生というゲームには、完全マニュアルもナレーションもありません。だから、みんなで体験を共有して、少しでも生きやすくしていたらなぁというのが僕の密かな願いです。

 

3回にわたる僕の鬱のお話、お付き合いいただいて本当にありがとうございました。まだ僕はうつヌケをした自信はないし、まだ歩き始めてすらないかもしれません。

でも、「前を見ること」ばかりが重視されるこの世の中で「立ち止まる体験」やその観点を伝えられていたら嬉しいです。

 

次回からはまたちがうトピックについて書きます!

それでは、次回更新までさよなら〜!

 

 

とある東大生が鬱になった日(2)

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こんにちは!ゆーのです。

初めましての方はぜひこちらの記事もどうぞ!(ブログのタイトルにちなんだ僕の自己紹介記事です。)

 

 

今日は、前回↓の続き。

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僕がどのように鬱に陥ったのか、微鬱の今だからこそ振り返れる生々しい感情とともにお送りします。

 

<目次>

 

何が起きたのか

息ができなくなったんです。

 

いや、まあ、さすがにそれは嘘なんですが。

 

 

 

息を吸っているのにどこか吸えていない、

息苦しい感覚があって、深呼吸をしたくなって。

でも、深呼吸をしても息は吸えなくて、

どんどん息苦しくなって、「このまま死ぬんじゃないか」。

 

なんとか教室に来て座ったはいいものの、

さらに息苦しさは増して、授業なんて上の空。

必死に息を吸おうと喘いでいる僕の周りで、

同級生たちは素知らぬ顔でノートを取る。

 

ああ、またこうやっておいていかれるのか、と思うと

もう座っているのさえ苦しくて、

教室を出て、少し曲がったところの廊下で、

壁に手をついて息をするのが精一杯。

 

一度外に出よう。安田講堂前のベンチで腰掛けて横になる。

少し楽になるけど、ちょっと起き上がるだけですぐ苦しい。

あまりの息苦しさに思わず泣きそうになる。

何かに頼りたくて、右手に持った携帯を握りしめる。

 

...もうあかん、フツーに息をさせてくれ。

こんなに苦しいなんてなんの罰?

俺何か悪いことしたっけ...。

 

 

 

 

...とここまでパニックになって初めて、ここで自覚します。

「これオカシイ。もしかして、セイシン的なビョーキなの?」

 

 

感想:「わろたw 俺のキャパ、すくねぇ!」

それまでは「精神科」や「病院」という単語にどこか抵抗があったのだけど、もうそんなことは言ってられない。

 

「辛いので助けてほしい」

 

その一心で、本郷の保健センターに行きました。

 

 

4月から、週20コマ前後の授業と土日空きコマのインターンを頑張り続けて、1ヶ月あまりが経った5/15(火)のことでした。

 

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9:00〜24:00までのスケジュール。オレンジが授業で、黄色がインターンです。

 

結局、その後保健センターから大学病院に回されて「息苦しさ」という症状から気胸を疑われて内科で診察を受けたんですが、結果は正常。結局その時は、精神科では診てもらえませんでした(後から聞いたら、保健センターの精神科って2週間以上前から予約が必要らしいです)。

というわけで、病名はわからないまま。でも、お医者さんと喋ったり、病院のロビーでゆっくりしている間に少し落ち着くことができました。

 

 

そりゃ、当時もまぁまぁ忙しいなとは思っていましたけど、

「勉強もインターンも全然、学ぶべきことを学べていない。こんなんじゃダメだ。もっと頑張らないと」

と思っていた矢先のことでした。

 

 

冷静になってまず考えたのは、

「このくらいでダウンするなんて、俺のキャパまじで想像以上にちっせーんだな。」ってこと。

 

 

そして、次に来たのは焦りでした。

 

 

「”ウツ”ってやつになってしまったってことは、これが僕の限界ってこと...?

でも待って。確かにスケジュール的には忙しいけど、

僕、全然知識を身につけてないし、世の中のタメになることもしてない。

こんなんじゃ、一人前の人間とは言えないよ!

だから、こんなところでヘタレてる場合か?

 

おい、動けよ体!」

 

 

 

体「うごっきませーん!はい、ムリー!」

 

 

体が動かねぇって言ってるんだから、もう仕方ない...。

そりゃ頑張ったら動けるけど、動いたらまたあの死にそうな息苦しさを仕返しされると思うと怖くて仕方がないわけです。

 

無価値人間

絶望でした。

 

僕は自分の「生産性」に関して、昔から高い理想を持っていました。

常に生産的であれ、というのが自分のモットーでした。

役に立たない人にはなりたくない、と。

 

 

 

だから、動けなくなった今、

 

「何も生産できない学生でありながら、学ぶことすらできなくなってしまったのだから、僕は無価値な人間。つまり、生きている価値なんてない。」

 

そう思えたのです。

 

 

感性に従って

「え〜、いやだ、生きてたい!」

と駄々っ子のようにゴネてみるけど、「無価値人間」という称号はどこかつきまとっている気がして。

 

僕は、選択を迫られました。

理想を捨てて「自分が無価値人間でも良い」と受け入れるか、理想を突き通して「生きる価値がない」を受け入れるか。

 

 

(それでは、次回の更新まで、さようなら!)

続きはこちら↓

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とある東大生が鬱になった日(1)

 

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背景画像は当時の日記

こんにちは!ゆーのです。

初めましての方はぜひこちらの記事も読んでください!

 

本当は今日は「いよいよワークショップについて熱く語りたい!」と思ったのですが、予定を変更してお送りします!

 

 

 

<目次>

 

 

今日、また鬱の入り口に立った気がする

なんで予定を変更してまで、ちょっと陰気な記事を書こうかと思ったか。

実は最近多忙でなかなか休む時間を取れていなかったのですが、ついにさっき「あ、いま僕、鬱の入り口に立ってる」と思ってしまったからなんです。

 

...とここまで読んで、「おー、こいつも”ウツ”ってやつに蝕まれてんのか、大変そうだな」とどこか他人事のように感じている方がいれば声を大にして言いたい。

 

 

 

昔の僕もみなさんと同じように、鬱の人を可哀想とは思えど、まさか自分がなるとは思ってもみませんでした。

 

 

 

というわけで、僕が自分自身をきちんと見直すためにも、これから「鬱」について何回かに分けて記事を書いていきたいと思います。

 

 

「〇〇になったら、△△できるようになる!」

「高校生になったら勉強ができるようになるんだ〜」

「大学生になったら彼女ができるようになるんだ〜」

「就職したら、かっこいい大人になれるんだ〜」

 

この言葉たち、どこか聞き覚えがありませんか?

 

 

「〇〇になったら、(なにもしなくても)△△できるようになってる!」

この構文、誰もが人生で一度は信じたことがあるでしょう。

でも、みなさんの多くが”「努力」もせずに「自動的に」何かができるようになっているだなんて幻想だった”ということは自分の苦々しい体験とともに知っていることでしょう。

 

 

 

これ、昔の僕が想像していた「ウツ」と似ているんです。

 

 

「負担をためれば獲得できる称号:鬱」

みなさん、鬱についてこんな風に思っていませんか?

「特別辛いことが続いたら、”ウツ”になる」

 

 

 

 

でも、よく考えてください。

 

”特別辛いこと”ってなに?

そもそも、”鬱”ってなに?

 

 

こういうことがはっきりしていないのに

「特別辛いことが起きるまでは、自分は”ウツ”にはならない」

と信じてしまうのは、

「高校生になったら、(なにもしなくても)勉強できるようになってる!」

を信じてしまうことと、全く同じことです。

 

 

ゲームの中のキャラのHP(体力)ってありますよね。

敵にやられればやられるほど、HPを表す数字は減っていく。

 

みなさんは、知ってるはずです。

現実にHPを表す数字なんてないことを。

わかりやすい敵なんてどこにもいないことを。

 

 

だから、気づかないんです。

「特別辛いこと」どんな敵で、いつ攻撃をしてきているのか。

「ウツ」どんな心のHPの状態を表しているのか。

 

 

 

 

突然でした。

 

 

RPGみたいな世界を心のどこかで信じていた僕は、

ある日、教室で息ができなくなりました。

 

続きはこちら↓

yunotanaka.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

(いいところでCM!みたいな終わり方ですいません。現在、午前1時。寝たかったのです...!)

長文読めない系人間が落合先生の「論文の読み方」を実践してみた

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こんにちは!ゆーのです。

初めましての方はぜひこちらの記事も読んでください!

 

 

 

突然ですが、長文読むの苦手...って人いませんか?

というのも、僕自身がすごく苦手で...。

 

本や文章を読むのにすごく時間がかかってしまうんです。

すぐ集中力が途切れて同じところを何度も読んでしまうし、読み進めていくうちに「あれ、これ何が言いたいんだ?」と思ってしまって20ページ戻る...なんてことは日常茶飯事。

この前なんて、15ページ読むのに2時間かかりました...。

 

 

もう、イヤ!

 

 

 

 

でも、このままで将来大丈夫なワケがないので「卒論までに読めるように...」と思っていたところ、なんと転機が!タイミングのいいことにインターン先の会社で論文を2本読むというお仕事をいただいたのです!

 

 

<目次>

 

 

さて困った

家に帰って、一念発起。「僕は変わるんだ!」と固い決意のもと、読み始めました。

...読み始めて5分。

「お、今日は集中できてるじゃん!」と思ったのがフラグだった。

その直後から記憶がありません。

 

 

 

 

進捗、6行。

睡眠、8時間。

 

 

心は頑張って読もうとしているのに、どうも頭がついてこない。

同じところを読み返したり、所々で「どういうこと?」と思ったりしているうちに寝てしまったようです。

 

 

 

落合せんせー、助けて!

そんな時にふと思い出したのが、前にTwitterで見たこちらの記事。

lafrenze.hatenablog.com

 

「高速で論文がバリバリ読める」

 

...なんて素敵な響きなんでしょう。

 

 

でも、僕は論文だけではなく、どんな長文も読めない人間。(自慢ではありません)

果たして、効果はあるのか...?と疑心暗鬼な気持ちでフォーマットを使ってみました。

(実際のフォーマットは、ぜひリンク先の記事を覗いてみてください!)

 

 

読めた

結論:なんとか読める。

まったく眠気を感じることがなかったので「なんとか読めた」とは言っても、フォーマットがなかった時と比べてはるかに楽でした。

 

フォーマットがあったおかげで、読んでる途中に「あれ、これ何が言いんたいんだ?」となってしまう、いわゆる「迷子状態」がすごく減りました

 

リンク先の記事を見ていただいたらわかるんですが、

フォーマットは

  1. 「研究がどんなものか?」
  2. 「先行研究と比べて、どこがすごいのか?」
  3. 「技術・手段の重要な部分はどこか?」
  4. 「研究の有効性はどう示されているか?」
  5. 「他にどのような議論があるのか?」
  6. 「次に読む論文」

という項目に分かれていて、論文のあらすじを読むだけで、だいたい1と3が埋まります。そして本文を読んでいくうちに2と4、そして5が埋まり、最後に参考文献で6が埋まる、という感じでした。

ちなみに、もちろんあらすじを読むだけで2を埋めることもできるとは思いますが、2は論文の主旨となるところなので、実際に本文を読んでしっかり理解したほうがいいと感じました。

 

 

失敗したこと

 

1つ失敗したのは、最初に

2.「先行研究と比べて、どこがすごいのか?」

3.「技術・手段の重要な部分はどこか?」

混同してしまったこと。

 

なんとなく1から順番に埋まっていくものだと思っていたせいで、2に研究の手段、3に研究の目的を書いてしまい、手段と目的の理解が逆転。「ん?この論文は結局何が言いたいんだ?」という迷子状態に陥りました。

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赤字が混乱した跡

 

 

また、文系の論文の場合はちょっと使い方が難しいと感じました。

僕が読んだのは比較的文系要素の強い論文だったので「有効性」や「他の議論」というところに何を当てはめていいかわからず、「有効性」「他の議論」のところは結局空欄に。どうやったら埋められるのか、意見・提案がある方、ぜひ教えてください!

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結局、有効性のところは空欄です



結局「よかったこともあったし、わかんなかったこともあった」という、どっちともつかずな結論ですが今日はこれで以上!

 

 

では、次の更新まで、さよなら!

 

 

ちなみに読んだ論文はこちらです。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nasemjournal/39/0/39_49/_pdf/-char/ja

http://www.ritsumei.ac.jp/kyoshoku/kankobutu/file/kiyo_special/01.pdf

 

厨二病が脚光をあびる「学校祭のテーマ決め」?!

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こんにちは!ゆーのです。

初めましての方はぜひこちらの記事も読んでください!

 

早速ですが,みなさんの中学校・高校では運動会や学校祭のテーマやコンセプトってどんな感じで決められていましたか?生徒がアイデアを出したり投票したりして決める,という学校もあったのではないでしょうか?

 

今日は,そんな「コンセプト決め」に関する単純な疑問です.

 

<目次>

 

正解がない問題

僕の中学校では生徒会が運動会のテーマを決めることになっており,生徒会長をやっていた僕は非常に頭を悩ませていました.当時,勉強がよくできて「頭がいい」と周りに言われ,鼻高々だったゆーの少年.

でも「テーマ決め」の正解ってナニ?!

 

「生徒のウケがよければ正解か?」

「中学校の顔となるようなテーマが正解か?」

「先生に褒められたら正解か?」

「生徒に案を募集するのが正解か?」

「いやいや,そんなことをしても案は出てこんぞ....」

 

と,ひどく頭を悩ませました.

「頭がいいと思っていたけど,中学校の運動会のテーマすら決められないなんて...」と失意の底に沈むゆーの少年.テーマ決めに正解なんてないんだ,と理解するのはもう少し後のことです.

 

 

厨二病が正解?!

今でも,鮮明に覚えています.

悩みに悩んだある日のこと.家族で晩御飯を食べている時にふと「運動会のテーマを決めるのが難しいんだ」と愚痴をこぼしました.するとビール3缶を飲み干して上機嫌だった父親が「こういうのはどうだぁ?!」と,ある語呂の良い言葉を提案したのです.

言葉が厨二病っぽかったので「ひかれるかな...」と思いつつも,あまりに語呂が良いので次の日,生徒会で「こういうのはどうだぁ?!」とあたかも自分の案のように提案したところ,まさかの全会一致で採択先生も絶賛

見事,運動会当日には立派な横断幕になって飾られていました.

 

 

あまりのあっさりさに,心の底から拍子抜けしました.

「俺が2週間も考えてうまくいかなかったのに!」

「酔っ払いに負けるだなんて!」

「え,厨二病言葉が正解なの?!」

「語呂がよければいいの?」

「なんでみんな賛成してるの?!嘘でしょ?!」

「横断幕になっちゃってるし!恥ずかし!」

などなど,様々な思いが心を巡るうちに運動会は終了....

 

ここでゆーの少年気づいた.

「あれ?もしかして,正解,無い?」

 

はーい,それが正解!!正解はありません!よくできました!

たまたま,あの会議で,あの人たちに,あの雰囲気で,あの厨二病で語呂の良い言葉がウケた.それだけ.

 

当時は「そんなの,いくら考えても正解にたどり着けないじゃ無いか!そんな問題ずるいよ!」と思い,「正解」がある学校の日常に戻っていったのを覚えています.

 

不正解はある

時は巡って,2018年.

大学生になった僕は,あの頃と同じ問題に直面していました.

それは ある冊子の「コンセプト決め」

 

4人で話し合いながらコンセプトを決めたい.という状況.中学校の頃の僕ならまた「正解がないなら分かるわけない!」と発狂していたでしょうが,今の僕にはワークショップの知識があります.正解が1つに定まらなくても,不正解を避けることはできることを知っています.

 

まず大事なのは,制限を確認しながら冊子の理想像についてイメージ共有を行うこと.

4人で共通言語を構築し,お互いのことを知ります.今回は「コンセプト」がアウトプットとして求められている,という制限があるので,それも共有します.また,今回は対面ではなくオンラインで話し合いをしなければならないかもしれません.これは大きな制限になりうるでしょう.

 

次に,話し合いの場においてどのようなアクティビティ質問を投げかければ良いか,考えます.

コンセプトをいかに自分ごと化して捉えられるか,いかに参加者の創造力を引き出せるか,いかに議題を多角的に考えられるか,いかに複雑な対話を誘発できるか,が焦点です.

 

最後に,アイスブレイクインプットすべきことを考えます.

今回はよく見知った4人ですので,アイスブレイクに自己紹介は不要でしょうがインプットとして「冊子」に関連するエピソードなどを語ってもらってもいいかもしれません.

 

うん,なんとかできそうだ.

 

 

最難関は,「楽しみながら」「有効な」アウトプットを出すこと

参加者の創造力を引き出すためには,参加者にこの話し合いの場を「楽しんでもらうこと」が必須です.

同時に,アウトプットとしては「ちゃんとコンセプトが決まること」が求められています.

 

言わなくても分かる通り,この2つは融合するのが非常に難しい.逆に言えば今回に限らず,「参加者に楽しんでもらいながら上手くコンセプトが生まれるワークショップ」は,ある意味で究極のワークショップだと思います.

「そんなワークショップ本当にできるのかあ?」

と思っているあなた!

 

できるんです.

嘘のような本当の話ですが上手に設計されたワークショップに参加していると,我を忘れるほど没頭しているうちに,いつのまにか良いアウトプットが生まれています.僕は,実際にそのようなワークショップを何度か受けたことがあるので断言できます.

すごいワークショップは,本当にすごいんです.

 

今回の「冊子コンセプト決め」.

僕の目標は,アクティビティと質問をうまく設計して「すごいワークショップ」に少しでも近づくことです.

結果はまた後日,このブログでご報告いたしましょう!そこで「すごいワークショップ」に近づくための視点やヒントを少しでも共有できたら,と思います.

 

それでは,次の更新まで,さよなら!