とある東大生が鬱になった日(完)
こんにちは!ゆーのです。
初めましての方はぜひこちらの記事もどうぞ!(ブログのタイトルにちなんだ僕の自己紹介記事です。)
今日は、前回↓の続き。
<目次>
未来の自分を失うか、今の自分を失うか
前回の記事の最後で、僕は「理想を捨てる」か「生きている価値がないと認めるか」の決断を迫られた、と書きました。
振り返ってみれば大した悩みでもないように思えてくるのですが、この決断は非常に大きなものでした。
「理想を捨てる」とは、つまり未来のなりたい自分像を捨てるということ。
「生きている価値がないと認める」とは、つまり今の自分を見捨てるということ。
今思えば、これは2択問題じゃないんですね。
描いた理想と今の自分のどちらも少しずつ見直して、軌道修正すればいいだけの話だったんですが。僕は不器用だし、その時は冷静じゃなかったんだと思います。
決断の時。僕は、未来の自分を捨てました。
理想を、捨てた
自分に押し付けていた”理想の自分”は「勉強もできて、かっこよくて、サークルも頑張ってて、いつも明るくて、世の中の為になることをしている、充実に満ちた大学生」。
でも、「生きている価値がない」なんて結論に至るくらいなら、僕は理想を捨ててやる、と、全部理想を捨ててみました。
とは言っても、すごく悔しいんですね。めちゃくちゃ悔しいですよ。
昔からの価値観を捨てるようなもんですから、自分の人生が無駄になったような気分。怒りも悲しみも混ぜこぜになったような感情が込み上げてきます。
「僕は、理想よりもずっとちっぽけで何もできない人間でした。」
「すまんな、過去の自分。」
「お前たちの期待を全て打ち砕いてしまった。」
「夢は潰えた。」
という具合に。
手放した後はすっからかん。
なにせ、それを目標にして大学生活を過ごして来たわけですから理想を手放すということは、見知らぬ土地でいきなりカーナビを投げ捨てられたようなもんです。だから、右往左往して試行錯誤して道を探すしかないのだけど、どうにも疲れてしまって。
周りを見るとみんなうまくやっていて、着実に理想の彼らに近づいているように見える。それに比べて僕は、なんでこんなところで止まってるんだ?と思えてきて。
「みんなうまくやってるのに、なんで僕だけこんなに大変なんだろう」
「僕だけ」なんて思っちゃいけない
幸い僕には友達がいました。サークルの同期が沢山いたし、寮には同じ学科の友達がいました。
ある日、あるサークル同期に久しぶりに会って話をした時。精神状態がおかしくなってしまったことを話しました。すると
「え、お前もなん?ワロタ、俺も今全く同じ状況でさ。俺ら頑張りすぎだよ」
寮の友達に話した時も
「わかるよ、課題辛いし、学科ももう何人か学校来なくなってるしなぁ」
衝撃。
みんなやすやすと課題をこなして、未来に向かって邁進しているように見えたのだけど実はみんな悩んでた。苦しんでた。立ち止まってた。
僕がそれを見てなかっただけ。そう知ってから、ちょっと心が軽くなりました。
「なーんだ、”現実”ってみ〜んな辛いのか!じゃあ辛いの当たり前じゃん!」
少し休んでからもう一回歩き始めようと思いました。
そして今の僕がいます。
失敗は人を勇気づける
この経験から、僕は人の失敗を知ることは自分の人生を豊かにすると思いました。それがこのブログを開設した理由、そしてこのブログで伝えたいことです。
僕がどういう経緯で、どのような苦労をしたのか。
を書くことによって、少しでも多くの人が「この人もこんなこと思ってるんだ。じゃあ、私も大丈夫だ」と思ってほしい。
みんな、人生初心者なんです。
人生というゲームには、完全マニュアルもナレーションもありません。だから、みんなで体験を共有して、少しでも生きやすくしていたらなぁというのが僕の密かな願いです。
3回にわたる僕の鬱のお話、お付き合いいただいて本当にありがとうございました。まだ僕はうつヌケをした自信はないし、まだ歩き始めてすらないかもしれません。
でも、「前を見ること」ばかりが重視されるこの世の中で「立ち止まる体験」やその観点を伝えられていたら嬉しいです。
次回からはまたちがうトピックについて書きます!
それでは、次回更新までさよなら〜!