東大推薦生の転落人生「これから頑張ります」

「僕はもっとできる子なんだ!」と思っているうち,あっという間に転落人生の入り口に立っていた

温もりが欲しい君へ、君に一番フィットするZOZOスーツを送ります。(完)

(続き)

 

ふだん、僕がどれほど「自分」を一面的にしか認知していなかったか、

思い知った。

普段、僕が「自分」を感じる場面なんて、

- 鏡を通して「自分」を見ること、

- 仕事で「自分」のアウトプットを生み出すこと、

そのくらい。

 

皆さんは、日々の生活でどこに「自分」らしさを感じてますか?

「自分」らしさで日常を溢れさせることは、しばしば

”自分勝手だ”とか、”傲慢だ”という意見の原因となりますが、

 

多分、「自分」らしさを保つことは、

生きるために必須なので、そんな意見は無視したほうがいいなって

今日思いました。

 

「自分」らしさは、別にそれ自体が嬉しいものでも、

幸せになる道具でもありません。

 

ただ、あなた が「自分」を認知する一つの道具として、

多様な「自分」らしさと、その表現方法があれば、

生き方が豊かになると思うのです。

 

 

「自分」らしさなんて言うと、難しいことを考えちゃいそうですが、

まずは、自分の体を撫で回してみましょう。

そして、頭の中で自分の体の 立体フィギュア を作ってみてください。

 

ZOZOスーツのような、肌密着レベルの温もりや存在は、

決して、他者に求めるものではなく、

撫で回して頭の中に形成される、立体フィギュア がもたらしてくれるものだと、

 

 

 

 

 

今の僕は信じています。

幸せな人生を送りましょう!

 

メリークリスマス!

温もりが欲しい君へ、君に一番フィットするZOZOスーツを送ります。(3)

今日、ふと思い立って、

自分の体を撫で回してみた。

 

 

はたから見たらすっごく気持ち悪い絵。

21歳の、3日間剃ってない髭を、顎に蓄えた男が、

一人で自分の体を網羅するように撫で回している。

 

もちろん、家でひっそりとやったけど。

 

 

でも、やってみて、

なんというか、不思議な気持ちになった。

 

 

 

あれ、僕の顎って意外と出てるんだな。

胸筋はないなぁ。

肩幅を、背中側で感じると、すごく広いぞ。

お腹周りはかなり細いな。最近ちゃんと食べてるっけ。

太ももはしっかりしてる。我ながら形はいい。

 

 

と、まるで、

 

手の触覚を頼りに、頭の中で

自分の体の 立体フィギュア を作っていくように思えた。

 

そして、撫で回す手は温かい。

この温かさは、他の誰でもなく、これが僕なんだなぁ。と感じる。

確かに、この温もりを補給しているのは心臓から出た血液かもしれないけど、

それも僕だ。心臓も、血液も。

 

 

(続く)

温もりが欲しい君へ、君に一番フィットするZOZOスーツを送ります。(2)

(続き) 

 

 

ある仕事がうまくいって、上司に僕が認められた、としましょう。

 

でも、次の仕事の結果が出るまでのあいだ、ずっと不安なんです。

結構どうしようもない不安で、

用もないのに、上司のもとに行って必要ない確認をとったりする。

 

上司から「認められてる」という確証を、

どうにかして、会話から得たくて。

 

 

 

 

 

 

 

そんなの、あるべき幸せじゃない。

と僕は思います。

 

 

そんな「常に、ZOZOスーツの肌密着レベル」で

温もりや、承認や、そばにいる感覚を、

供給してくれる他者なんて、

 

そんな都合いい存在、いません。

 

 

だから、あなた に一番フィットするZOZOスーツは、

あなた自身 で作りましょう。

 

というのが、僕の持論。

できてないけど。

 

 

(続く) 

温もりが欲しい君へ、君に一番フィットするZOZOスーツを送ります。(1)

僕は、「認められたい」と思う。

 

 

それは、言い換えられて、

温もりが欲しい、とか、

誰かにずっとそばにいて欲しい、とか、

 

そういう言葉として、世の中を闊歩している。

 

 

ZOZOスーツって、しっかり計測のため、

体にしっかりフィットするように作られているらしいんですが、

 

そんな、肌に密着するレベルで、

常に、「認められている」ことを感じていたい。

常に、「温もり」がほしい。

常に、「そばにいて」ほしい。

 

少なくとも、僕は、そう思っちゃいます。

 

常に感じていないと不安なんだもの。

 

 

 

 

でもね、結局ね。

 

一番、あなたのことを認めてくれるのは、

あなた しかいないと思う。

 

一番、あなたに温もりを与えてくれるのは、

服にためられた あなた の体温だったりするし、

一番、ずっと死ぬまでそばにいてくれるのは、

それも、きっと あなた だと思う。

 

 

 

 

そりゃ、偉くなったり彼氏できたりして

すごく温もりを感じたり、

認めてもらえた、

と感じることもあるでしょう。

それはそれで素敵だと思う。

 

 

でも、それっていつまで続くのかな。

なくなった途端、すごく不安になって、

どうしようもなくならないかな。

 

 

僕は不安です。

 (続く)

「承知しました」の笑顔のうらに滲む心

僕は「承知しました」って軽々しく言っちゃいます。

 

 

そう言った時は確かに、

自分で心から納得してるのに後から涙が出てくる、

なんてことないですか?

 

 

 

今日は、自戒を込めた、そんなお話です。

 

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議論をする。

討論をする。

場にいる人々が提案をし合意形成をして、

どちらかの、または、折衷されたアイデアを結論とする。

 

そしてたいてい、

その結論とともに、最後に残されるのは

誰かの「承知しました」である。

 

 

本当に「承知」してるのか、とふと思った。

その合意形成に、そのアイデアに、そのプロセスに、

本当に、あなたは承知したのですか、と。

 

たしかに、アイデアの合理性を

「理解」しては いるかもしれない。

たしかに、アイデアを出した人の原体験を知り

「共感」しては いるかもしれない。

 

 

しかし、考えてみてほしい。

 

この「承知」のなかに

「あなた」はどこにいるのだろう?

 

 

 

 

客観的に「理解」と「共感」したつもりのあなたは

客観も客観がすぎて、

 

議論の土俵を降り

 

もはや客席に座ってしまってはいないか?

 

 

 

そんな「承知」の後に残るのは、

「わかってはいるけど、納得ができない」

 

そんな後味の悪さである。

土俵に取り残された「あなた」の心は、

踏みにじられていつのまにか、滲んでいる。

ケツが痛い。たぶん痔。助けてほしい

下品な話です。

 

 

詳細に語ろうとすると

どうしても皆様にぼくの肛門を

想像していただかなきゃいけなくなる

 

閲覧注意。

 

昔から、その気配はあったのだけど

昨日から悶絶するほど痛い

 

極力お尻を動かしたくないので、

電車での移動すらしたくない。

 

痛くない座り方を探して、

座った姿勢が変になるのは序の口。

 

昔から祖母に「野菜を食べなさい」

と言われてきた言い付けを守っていれば

こんなことにならなかったのだろうか

 

 

そう考えながら、今夜はきっと

風呂場で静かに

肛門をはみ出てきた腸の一部を

押し込むことになる

 

 

ぜっっっっっっったい痛いやんクッソォ

仕事が嫌い、と言えない僕は、脆い

昔は、仕事が大好きでした。

人から任せられる、という心地よさに溺れていました。

 

人から仕事を任せてもらえるってことは、

認められてるってこと。

 

少しでも期待以上の仕事をやっておけば、

褒められて、次の仕事が来ること間違いなし!

 

 

 

でも、任される仕事が難しくなってくると、

夜な夜な、仕事が「終わらない」恐怖に怯え、

それは、自分が「認められない」不安になりました。

 

 

それでも、なんとか仕事をこなしていたけど、

気づかないようにしていた”その時”は、やってきた。

ずっと予期していたはずの、「予定通りに仕事ができない」瞬間。

 

 

 

初めて「すいません」と言わなきゃいけない屈辱と、

「僕はできない人間だ」という自責とが、一気に襲ってきて、

どうすればいいかわからなくなった。

 

次の仕事が、うまくできるとは思わない。

でも、うまくやらないと、また辛い。

だけど、僕を褒めて欲しい。僕を認めて欲しい。

 

そんな気持ちだけが渦巻いて、

「仕事ができた自分」だけを夢見ながら、現実逃避の睡眠に走る日々。

そんな、生活。

 

 

 

「僕は誰のために生きるのか」